日本はり医学会方式誕生の軌跡
始まりは臨床で生じた疑問から
従来の本治法では、先ず主たる変動経絡の陰経の生気の不足を補います。
- 肝虚証なら曲泉
- 心虚証なら大陵
- 脾虚証なら太白
- 肺虚証なら太淵
- 腎虚証なら復溜
次に、本証を補った後は母経を補います。
これは聖典『難経』六十九難に虚すれば母を補えとあるからです。
この治療法則に従い、
- 肝虚証なら腎経の陰谷
- 心虚証なら肝経の太衝
- 脾虚証なら心包経の大陵
- 肺虚証なら脾経の太白
- 腎虚証なら肺経の経渠か尺沢
を何の疑いも持つことなくこれまで補ってきました。
あるとき、本証を補っていい脉になったのに、母経を補うと脉が崩れることに気がつきました。
最初は刺鍼がまずかったのかな?とも考えましたが、検証を重ねていくうちに、どうやら母経の補いは反って一本目の鍼の効果を損なうことが判明しました。
理論的考察
この現象を理論面から考察してみます。
難経五十三難
❝經言.七傳者死.間藏者生.何謂也.然.七傳者.傳其所勝也.間藏者.傳其子也.何以言之.假令心病傳肺.肺傳肝.肝傳脾.脾傳腎.腎傳心.一藏不再傷.故言七傳者死也.間藏者.傳其所生也.假令心病傳脾.脾傳肺.肺傳腎.腎傳肝.肝傳心.是母子相傳.竟而復始.如環之無端.故言生也.
五十三難に曰く。経に、七伝のものは死に間臓のものは生きるとありますが、どういう意味なのでしょうか。然なり。七伝はその勝つ所に伝え、間臓はその子に伝えます。どういうことかと言うと、たとえば心が病むと、それが肺に伝わり、肺は肝に伝え、肝は脾に伝え、脾は腎に伝え、腎は心に伝えます。一臓が再び傷れることはありませんので、七伝するものは死ぬと言うわけです。問いて曰く。伝剋して死ぬものは皆な七伝したのでしょうか。たとえば心が病み、それが脾に伝わり、脾は肺に伝え、肺は腎に伝え、腎は肝に伝え、肝は心に伝えます。これは子母に伝わるということで、終わってもまた始まり、環の端がないようなものです、ですから生きると言います。❞
病邪の伝変について書かれている難です。
心病は肺に伝わり、肺から肝に伝わり、肝から脾に伝わり、脾から腎に伝わり~とあります。
これを各証で整理すると、
- 肝→脾→腎→心→肺
- 心→肺→肝→脾→腎
- 脾→腎→心→肺→肝
- 肺→肝→脾→腎→心
- 腎→心→肺→肝→脾
と病邪が伝変していきます。
生気も同じではないでしょうか?
例えば、肝虚証で肝を補うと肝が実になります。
肝が実になると木剋土で脾が虚になります。
脾が虚になると土剋水がままならないので腎が実になります。
腎が実になると水剋火で心が虚になります。
心が虚になると火剋金がままならないので肺が実になります。
肺が実になっても最初に肝を充実させているので金剋木にはなりません。
ということで、肝を補うと五行勝復関係により、腎も補われることがわかります。
これを各証で整理すると、
- 肝を補うと、肝が実になり脾が虚になり腎が実になり心が虚になり肺が実になります。
- 心を補うと、心実→肺虚→肝実→脾虚→腎実。
- 脾を補うと、脾実→腎虚→心実→肺虚→肝実。
- 肺を補うと、肺実→肝虚→脾実→腎虚→心実。
- 腎を補うと、腎実→心虚→肺実→肝虚→脾実。
つまり、本証を一穴整脉力豊かに補うと、母経まで補えるといえます。
にもかかわらず、母経を補うと余計に脉が崩れます。
もう一度勝復関係を見てください。
例えば、肝虚証で母経の腎を補うと、肝が虚になるのが分かります。
腎を補うと腎が実になり、腎が実になると心が虚になり、心が虚になると肺が実になり、肺が実になると肝が虚になり、肝が虚になると脾が実になります。
その他の証もこれに類推します。
結論、各証とも、本証である主たる変動経絡の陰経の一穴を補ったら、その母経の補法は必要ありません。
難経六十九難
以上を踏まえて、難経六十九難の治療法則を考察していきましょう。
❝經言.虚者補之.實者瀉之.不虚不實以經取之.何謂也.然.虚者補其母.實者瀉其子.當先補之.然後瀉之.不實不虚.以經取之者.是正經自生病.不中他邪也.當自取其經.故言以經取之.
六十九難に曰く。経に、虚するものはこれを補い、実するものはこれを瀉す、虚せず実してもいなければ経をもってこれを取るとありますが、これはどういう意味なのでしょうか。然なり。虚するものはその母を補い、実するものはその子を瀉します。先にこれを補い、その後にこれを瀉します。虚せず実してもいなければ経をもってこれを取るのは、正経が自ら病を生じているもので外部からの邪にあたっているものではありません。ですから自身の経を取るわけです。ですから経をもってこれを取ると言っているのです。❞
虚すれば母を補い、実すれば子を瀉せとありますが、母経を補え、子経を瀉せなどとは明確には書かれていません。
後世の医家が母経を補えというふうに解釈したのではないでしょうか?
私たちが臨床を通じて再検討した結果、母経を補うとよくないことがわかりました。
臨床での事実を元に考察すると、虚すれば母を補えというのは、選経ではなく選穴を論じている者だと思われます。
肝虚証なら、母に当たる要穴の合水穴の曲泉ということになります。
難経七十九難
六十九難が選穴論であることが例で示されているのが七十九難です。
❝經言.迎而奪之.安得無虚.隨而濟之.安得無實.虚之與實.若得若失.實之與虚.若有若無.何謂也.然.迎而奪之者.瀉其子也.隨而濟之者.補其母也.假令心病.瀉手心主兪.是謂迎而奪之者也.補手心主井.是謂隨而濟之者也.所謂實之與虚者.牢濡之意也.氣來實牢者爲得.濡虚者爲失.故曰若得若失也.
七十九難に曰く。経に、迎えてこれを奪えば、どうして虚さないことがあるでしょうか、隨ってこれを済ければ、どうして実さないことがあるでしょうか、このように虚と実とは得るような失うようなものであり、実と虚とは有るような無いようなものです、とありますが、これはどういう意味なのでしょうか。然なり。迎えてこれを奪うとは、その子を瀉すということです。隨ってこれを済けるとはその母を補うということです。たとえば心の病で、手の心主の兪穴を瀉すと、これが迎えてこれを奪うことになります。手の心主の井穴を補うと、これが隨ってこれを済けることになります。いわゆる実と虚とは牢と濡という意味です。気が来る状態が実牢のものは得るとし、濡虚のものは失うとします。ですから得るような失うようなものであると言っているのです。❞
ということで、心虚証と心実証を例に、心虚証では母経の肝経を補えと書かれていません。母に当たる要穴の井木穴中衝を補えとあります。
心実証では子経の脾経を瀉せとは書かれていません。子に当たる要穴の兪土穴大陵を瀉せとあります。
六十九難は選穴論です。
本証の補いの次は相剋を診る
では、本証を補った後は、どの様に進めればよいのでしょうか?
再び六十九難をみてください。
難経六十九難
❝經言.虚者補之.實者瀉之.不虚不實以經取之.何謂也.然.虚者補其母.實者瀉其子.當先補之.然後瀉之.不實不虚.以經取之者.是正經自生病.不中他邪也.當自取其經.故言以經取之.❞
虚すれば母を補い、実すれば子を瀉し、先ず虚を補い、然る後に実を瀉せとあります。
肝虚証と診たということは、相剋の肺脾を実と診たことになります。
肝を補った後は、この相剋経の実が取れたかどうかを診ます。
そして実が取れていなければ肺脾のどちらかから実を瀉します。
正に、當先補之.然後瀉之.です。
これから思うに、難経の時代ではすでに相剋治療が行われていたと考えるべきでしょう。
微邪と賊邪
難経四十九難に五邪論というのがあります。
本来勝つべき相手から相侮されて発病する邪を微邪、負けるべき相手から相剰されては発病する邪を賊邪とします。
微邪
- 肝虚脾実証
- 心虚肺実証
- 脾虚腎実証
- 肺虚肝実証
- 腎虚心実証
これを陰実相侮証(いんじつそうぶしょう)とします。
賊邪
- 肝虚肺実証
- 心虚腎実証
- 脾虚肝実証
- 肺虚心実証
- 腎虚脾実証
これを陰実相剰証(いんじつそうじょうしょう)とします。
陰実相侮証と陰実相剰証の適応側
臨床と当会指導部の勉強会で検証を重ねた結果、微邪の場合と賊邪の場合で適応側の法則性があることがわかりました。
微邪である陰実相侮証は本証の適応側と同側を取ります。
賊邪である陰実相剰証は本証の適応側と反対側を取ります。
陰実相侮証
- 肝虚脾実証は、適応側の肝経を補って、同側の脾経を瀉します。
- 心虚肺実証は、適応側の心包経を補って、同側の肺経を瀉します。
- 脾虚腎実証は、適応側の脾経を補って、同側の腎経を瀉します。
- 肺虚肝実証は、適応側の肺経を補って、同側の肝経を瀉します。
- 腎虚心実証は、適応側の腎経を補って、同側の心包経を瀉します。
陰実相剰証
- 肝虚肺実証は、適応側の肝経を補い、反対側の肺経を瀉します。
- 心虚腎実証は、適応側の心包経を補い、反対側の腎経を瀉します。
- 脾虚肝実証は、適応側の脾経を補い、反対側の肝経を瀉します。
- 肺虚心実証は、適応側の肺経を補い、反対側の心包経を瀉します。
- 腎虚脾実証は、適応側の腎経を補い、反対側の脾経を瀉します。
相剋調整
場合によっては、相剋経の実が治まり逆に虚してくる場合があります。
その場合は、福島弘道先生が提唱され、柳下登志夫先生によって発展を遂げた、相剋経を補う重虚極補の相剋調整療法を行います。
- 肝脾相剋証
- 心肺相剋証
- 脾腎相剋証
- 肺肝相剋証
- 腎心相剋証
- 肝肺相剋証
- 心腎相剋証
- 脾肝相剋証
- 肺心相剋証
- 腎脾相剋証
ということで臨床から生み出された相剋調整ですが、実は遥か大昔の医学書である『難経』と『金匱要略』に相剋調整と思われる記述が見受けられます。
難経
◆七十七難曰.
經言.上工治未病.中工治已病者.何謂也.然.所謂治未病者.見肝之病.則知肝當傳之與脾.故先實其脾氣.無令得受肝之邪.故曰治未病焉.中工治已病者.見肝之病.不暁相傳.但一心治肝.故曰治已病也.
「問うて言う。上工は未病を治し、中工は已病を治す。ということが、昔の医書にありますが、何のことでしょうか?答えて言う。未病を治すというのは、病邪が七伝をするのを、未然にふせぐことによって、病をなおすことです。たとえば、肝の臓が病んでいるのをみて、これが危険な七伝をするときは、次に脾に伝えることを心得ていて、まず脾気を充実させ、脾の臓が肝の邪をうけることのないようにするのです。これを未病を治すといいます。これのできる者が上工、つまり、優れた医人です。
已病を治すというのは、治療するのに、病邪の七伝の心得が充分になくて、ただ、病んでいる臓だけをなおそうとするのをいいます。たとえば、肝が病んでいるのをみて、これが脾に伝えるかもしれないことはわからずに、ただ、一所懸命に肝の病を治そうと努力するものです。これを已病を治すといいます。このような者は中工、つまり、まあまあの医者です。」
金匱要略
◆臟腑經絡先後病脉證第一.
問曰.上工治未病.何也.師曰.夫治未病者.見肝之病.知肝傳脾.當先實脾.四季脾王不受邪.即勿補之.中工不曉相傳.見肝之病.不解實脾.惟治肝也.夫肝之病.補用酸.助用焦苦.益用甘味之藥調之.酸入肝.焦苦入心.甘入脾.脾能傷腎.腎氣微弱.則水不行.水不行.則心火氣盛.則傷肺.肺被傷.則金氣不行.金氣不行.則肝氣盛.則肝自愈.此治肝補脾之要妙也.肝虚則用此法.實則不在用之.經曰.虚虚實實.補不足損有餘.是其義也.餘藏準此.
上工は肝虚証から脾へと伝変するのを知っているから脾を充実させて未だ病まざるを治し、中工は已に病んでいる肝だけを治療するからダメだとあります。
正に、古来より相剋調整が行われていたという何よりの証です。
陽経の補瀉
このように整脉力豊かに陰経を補い、相剋経を調整した後は、次は陽経に現れた虚実を補瀉調整します。
多くの場合は、主訴・愁訴に関する陽経に邪となって浮いてきます。
脉状に応じた手技手法で処理します。
まとめ
本治法は、
- 証に従い主たる変動経絡の一穴を補う。
- 相剋経の虚実を弁え補瀉調整する。
- 陽経の虚実を弁え補瀉調整する。
三穴で生命力を強化することができる少数穴本治法がここに誕生しました。
これを、
『日本はり医学会方式』
とします。
約40年前に、宮脇優輝先生が日本はり医学会北大阪支部を立ち上げられ、古野忠光先生と丸尾頼廉先生が黎明期を支え、
関西支部、(一社)日本はり医学会を経て、中野正得先生率いる現体制に至るまで、臨床というフィルターを通して古典を再検討して参りました。
その結集が日本はり医学会方式です。
この高度最先端医療を引っ提げて、
『一般社団法人日本はり医学会』
へと、当会の物語は続いていきます。
会員のみなさま、日本はり医として日本はり医学会方式による脉診流経絡治療を臨床実践し、みなさまを頼って訪れるたくさんの患者さんを、病苦から癒し和らげ治し防ぎ、救ってあげてください。